実験やめたった シマエナガ編

劇団「実験やめたった」の活動報告

某バンドサークルのコンピアルバムVol5の解説とコメント(その8, 3&13曲目と反省)

 シリーズ第8回目(最終回)は、アルバムの3、13曲目の解説と筆者の反省を書く。

 

#03. RAT

 筆者は最初この曲を聴いてすごい曲が出てきたと思った。作曲のテクニックもさることながら、この複雑な世界観をジャズロック的なスタイルで表現するのに、このように実力のあるメンバーをよく揃えたなと思った。楽器の数が多いのにそれぞれが上手く出る所と控える所のメリハリがつけられている(普通は各楽器が出ずっぱりで混雑した感じになるという、俗に言う”引き算が出来てない”状態になる)。さらに音の選び方を良く分かっていて(ジャズの和音の作り方は音が変な風になるかどうかのギリギリの所を攻めていて、音の選び方を間違えると下手な感じになってしまう)、皆さん広いジャンルの音楽を経験してきたんだなと筆者は感心した。

 

 なお、4月末に筆者がCDを最初に聴いた時はコード進行が全然分からなくて、今でも途中のラップ部分のコード進行の一部がわからない。そしてこの曲については筆者が採譜したコード進行にはあんまり自信がない。すまん。

 

 

今回の企画をふりかえる

 非常に大変だった。当初は5月の連休中に完了すると思っていたコード解析が1ヶ月もかかってしもうた。

 

 しかし筆者はこの解析をやってたいへん勉強になった。一つ一つの曲の一つ一つの音にこだわりがあり、そういう発見はこの解析を通してでなければ発見出来なかったであろう。

 

 あと、筆者は5月中は音楽理論の教科書を読み直しまくって、さらに本屋で持ってない教科書を見つけては買い足すなどして音楽理論の研究をやりまくった。こうして筆者には先月の時点よりも格段に多くの知識と経験が蓄積したと思う。そして今、筆者の書いた最初の方の文章(さらにコンピアルバムVol2の文章)を見直してみるとその語彙力のなさに絶望する。このように筆者は自らの小ささにいつも絶望しているのだが、その反面、音楽の世界の広大さにはロマンを感じざるをえない。音楽は宇宙である。

 

音楽理論は作曲に必要か?

 必ずしも必要ない。皆さんも何人かの作曲者に聞いてみると良いが、理論を知らなくても実際に曲は作れる。筆者は音楽というのは本来、自分の感覚で楽しいと思うものを作るのが一番よくて、「理論に従って作りました」というのは順番が逆と思う。

 

 いっぽう、理論を知っていて得をすること(というか伸びるタイプの人)も居るだろう。それは、某バンドサークル界隈では理系大学生が多いということで、こうした理系的な性分の人はこの方法によって作曲力が向上するかもしれない。なお筆者は極端な例で、筆者はもはや完全に理系の思想(物事の美しさの背後には合理性があるという信仰、自らのセンスに自信がないのでその拠り所を完全に理論に求めるスタンス)に魂を売ってしまったので常時そうなっているのである。というか最早、筆者は原始の楽しい感じで音楽を考えることはできなくなってしまった。これは聖書に書かれているという原罪的なアレである。話が逸れたが、理論との接し方としては個々人にとって「自分の表現にとって有益かどうか」で判断してもらえれば良いと思う。

 

 ところで、音楽理論を学ぶことのメリットというのは、その一つは音楽の表現に名前が付けられることにあると思う。こうして、「ここはツーファイブワンだね」とか「ここはパッシングディミニッシュだね」とか、先人たちの築いた理論体系に共通の言語でもってアクセスすることができる。自分の表現したい音があって、それを自分で苦労しながら見つけていくのは楽しいけれど、表現手法をカタログから選ぶように好きにできるとしたら、それは贅沢で良いことだろうと思う。

 

 その反面、理論的な正確さのみにこだわりすぎて曲を作ることは良くない。例えば「ウルトラハッピーソング」のサビの場所、セカンダリドミナントでCメジャーが鳴る場所があるが、ここの主旋律の音がミのフラットなのでコードはCmだろうと思ってそう変えてみたら、なんだか全然面白くない風になってしまった。というわけで、理論からはみ出すこともまた表現の一つなのだと思う。

 

コード進行のセンスをつけるために

 自分の好きな曲のコード進行を片っ端から解析することを勧める。バンドスコアを持っていればちゃんとコード進行が書いてあるし、今はネットで検索すればたいていの曲のはすぐ出てくる。で、これを暗記するくらいに弾きまくる。そうすると、コード名と音の感じが実感を伴って身につくとおもう。

 

 そしてさらにステップアップするのに、こうした自主制作アルバムの曲は格好の題材だとおもう。ここで重要なのは、「答えがググっても出てこない」ということである。これを自力で本気で解析してみる。そしてできれば誰かと一緒にやって答え合わせをする。こうすることで曲の解釈の幅が広くなると思う。

 

今日の筆者は昨日の筆者にとってまるで別人みたいなのか?

 筆者がこうして古巣のサークルの活動に関与するのは、やはり若手の成長を見たいがためでもある。大学生の頃というのは時間も若さもあり、毎日楽器の練習を好きでやっている若手はしばらく経った頃には見違えるほど上手くなっていることがある。そんな成長を見守るのがOBとしては楽しみなのである。

 

 こうして若手が劇的に成長をするように、筆者自身もまた劇的に変化して行かねばと思う。一日一日を経ることにまるで別人になったかのように成長していく人間でありたい。

 

  

#13. ありのまま

 

 

来年

 筆者の現在の職の任期は次の3月で切れてしまうので、来年の春に筆者が生きている保証はない。しかし、来年筆者が存命していて、かつテンションがあれば、また次のアルバムが出たら曲の音楽理論的な解説をやろうと思う。読者諸君の中で音楽理論の楽しさに目覚めた人がいたならば、またその時は筆者と一緒に研究をやってくれよな!

 

 

(おわり)